岡山大学ヨット部OB会飛沫会による

A級ディンギー津軽海峡往復横断成功

平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災の復興を支援するイベントとして平成26年(2014年)7月5~6日に開催した第24回全日本A級東北復興松島大会に1艇で参加した。大会終了後乗用車と牛窓ヨットハーバーから借りてきた2トントラックにA級1艇を載せて直ちに青森へ向けて出発し、その日の夜に市内のホテルに到着した。参加者は青淵隆督(82歳)、白石直光(79歳)、岡 正志(78歳)、馬場正彦(74歳)、牧野 勤(74歳)、丹羽 勤(73歳)、徳田 清(72歳)、古川昭芳(70歳)、いずれも70歳を超えたジイサンばかりである。

翌7日の早朝、竜飛岬に向けて移動し午後到着した。早速伴走を依頼している竜飛漁協所属のマグロ漁船第七光洋丸の水嶋船長と打ち合わせをしようと港に行った。トラックに載っているA級ディンギーを初めて見た船長は「明日も風は弱くなんねえ。朝からこのくれえは吹く。風と強い潮流で複雑な波が立つ。こっだら小さなボートで横断できっこねえ。やるまでもねえ。やみだほうがええ」最初のうち伴走を渋った。そこでトラックから艇を降ろし、リーフして竜飛漁港の外を帆走して見せた。風速約6~7m、波の高さ1.5m~2m、A級にとっては厳しい条件であったがアビームでかなりのスピードで帆走した。牛窓で用意してきて今日初めてバウに取り付けた布製波切が思いのほか役に立った。

万一沈した時の救助方法も説明した。船長にもなんとか納得してもらうことができた。

船長の見込みでは明日の天候、潮流、風ともに問題ない、決行しようということになった。渡航は津軽半島の竜飛崎から北海道への最短距離となるJR津軽海峡トンネルの上陸地点にあたる吉岡漁港を目指すコースを選択した。

函館海上保安部から聞いた話では津軽海峡は外国の商船も軍艦も通過する国際海峡であるが、中国の潜水艦は潜航したまま通貨するそうである。もちろんこれは航行違反である。また、水嶋船長から聞いたところによると、この季節津軽海峡はサメが多く集まるところで、泳いで海峡横断に挑戦する人は左右2隻のサポート船の間の海中に安全確保のため布を張りその上を泳ぐそうである。

我々がヨットでトライする直前にもアイルランドから来た女性が泳いで横断に成功したと聞いた。A級で沈すると飢えたサメのえじきになるやもしれぬ。

 

翌8日はまだうす暗い04:00に竜飛漁港を出帆した。南東の風5~7m、霧と常時太平洋側に流れる潮流、大きいうねりの中をアビームからランニングで帆走した。

04:00竜飛漁港出帆往路

光洋丸に積んでいる計測計によればA級のスピードは潮流の影響で3~5ノットしか出なかったが09:00に無事吉岡漁港に到着した。

 

なぜか到着したらすぐに警官が6~7名やってきた。なかに婦人警察官もいた。氏名、住所、年齢、どこから来たか、何処へ行くのかなどを聞かれた。外国から来た男女の不法侵入者の疑いをもたれたのかもしれない。福島漁協吉岡支所の人が説明して了解してくれた。5月に下調べで吉岡支所に挨拶しておいたのがよかった。

民宿の女将が用意してくれた朝食用の特製大おにぎりを全員でいただいた。

 

復路は乗員が交代して吉岡漁港を10:00に出港した。風は南東の弱い風、天候は快晴で波、うねりも多少収まってきた。海峡の中ほどまで来たときに船長から潮流が強くなり、対水速度はあるが対地速度はない、曳航するという宣託がなされて1時間ほど引っ張てもらった。

復路 海峡の中央付近伴走船光洋丸復路 竜飛岬が見えてきた

そのうち南西からクロスの安定した5~7mの風が吹き始め、帆走を再開して竜飛漁港に入港した。ここにA級ディンギーによる津軽海峡往復横断を成し遂げた。時に14:00。

 

その晩は再び民宿「竜飛津軽屋」にお世話になり、ママさんの心づくしの手料理をいただき祝杯をあげた。

今回のA級ディンギーによる津軽海峡横断計画を実行するにあたり岡山大学ヨット部OB会はもちろん、次の方々に大変お世話になりました。御礼申し上げます。

光洋丸水嶋船長、竜飛漁協、福島漁協吉岡支所、

青森海上保安部、函館海上保安部、民宿「竜飛津軽屋」

さらに日本A級ディンギー協会加盟の各大学OBの方々からは横断成功のお祝いメーセージをたくさんいただきました。ここに厚く御礼申し上げます。